43: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/06/09(木) 02:58:57.98 ID:Z2t1Md1rO
今年もまたご一緒に九億四千万キロメートルの宇宙旅行をいたしましょう。
これは地球が太陽のまわりを一周する距離です。
速度は秒速29.7キロメートルのマッハ93。安全です。
他の乗客たちがごたごたをおこさないよう祈りましょう。 星新一の年賀状

なんでもいいからコピペが読みたい:哲学ニュースnwk (via kazamakun)

すばらしい。

(via unknownlabel)

(nemoiから)

研究者によると、45~65歳で楽器を演奏している人たちは、同年代のそうでない人たちよりも記憶力と、雑音の中でスピーチを聞き分ける能力が高かったということです。これ以前に行われた学生を対象にした実験では、音楽の指導を受けた生徒は勉強がよくできる傾向があったという結果がでていたとのことで、音楽がよい影響を与えるのは若者だけではなかったということが証明されたようです。

特に雑音下でスピーチを聞き分ける能力は、同じくらいの年格好の人でも著しく個人差が出るとのこと。その理由として、高齢になると社会的に孤立してしまいがちであることや、気分の落ち込みが関連しているのではないかとも言われています。

その理由をさらに詳しく突き止めるため、アメリカ・イリノイ州にあるノースウエスタン大学の聴覚神経科学研究所は、音楽を趣味とする18人のグループと、そうでないグループ19人を対象に比較実験を行いました。被験者の年代は45~65歳でした。

すると、楽器を9歳より以前に始めた人や、1つの楽器を生涯を通じて演奏し続けている人は、楽器に触れていない人よりもずっと優れた聴覚・視覚能力を発揮したそうです。

この研究の共同執筆者であるNina Krausさんは「幅広い音域から意味のある音を選び取って奏でる経験は、聴覚を増強します」とコメントしており、楽器の演奏によって聴力が鍛えられることを明かしています。


しかし聴力が鍛えられるといっても、音楽を趣味にすることで音がよく聞こえるようになるというわけではなく、楽器で正しくメロディーを演奏しようとすることで、聴覚の神経系が微調整されるという方が適切なようです。
楽器を演奏していると老化が遅くなることが明らかに - GIGAZINE (via amiens2009)

(amiens2009から)

1.目的
2.方法
3.結果(事実)
4.結論(考察)

この構成は、中学の理科実験のみならず、じつは自分がこれまでに書いたほぼすべてのレポートに共通に使える、きわめて汎用性の高いアーキテクチャーで あった。大学のレポートも、卒論も、いや学位論文だって、この構成を基本として作成した(多少は複合し応用したが)。会社のレポートも、ほぼすべてこの フォーマットで書ける。無論、レポートの種類に応じて、これとは違う書式や構成で書くことはある。だが、事実と思考を他者に報告し共有するために、共通し て依拠できるスタイルという点で、最も適した構成だと断言できる。

最初の「目的」は、明確に書く。何が問題なのか。何を明らかにしたいのか。その行為に至った背景と意図。自分の持っている仮説。そして、「何が明確になれば、本目的を達成したと言えるのか」を、きちんと定義する。そうすれば、「結論」のところで、成功したとか、失敗だったが教訓を得た、という風に書きやすくなるし、最初と最後がきちんとかみ合うので全体構成がまとまるのである。

次の「方法」 は、調査なら調査の方法を、実験なら実験の方法を書く。どのように問題にアプローチしたか、どう事実を収集したかを書くのである。たとえば調査ならばネッ ト検索で当たりをつけ、参考書や文献を読んで調べたとか、実地に訪問して見てきたとか、経験者たちをインタビュー調査したとか、あるいは実験してみたとか である。図などを利用して簡潔に書こう。適切に調査したのか、再現性はありそうか、が読む人に判断できればそれでいい。

結果」 は、事実の記述である。普通は、予備的な調査の結果がまずあり、それから本調査のデータや記述が並ぶ。表や図などを使って、わかりやすくまとめることが肝 心だ。レポートは長ければ良いというものではない(一部の官庁系の請負仕事をのぞく--あの分野には「100万円の委託業務だからレポートの厚さは最低 10cmね」などといったナンセンスな要求が存在する)。もしもデータ量が多くて長くなりすぎるときは、詳細は「添付資料」にして本文を短くする。レポー トの読み手は上司だったり顧客だったり関係者だったりするわけで、書き手を批評できる立場にある。だからわかりやすさが尊ばれる。

「結果」を書くときの注意点は、事実と意見をなるべく区別しようという態度で進めることだ。その一つの方法は、言葉(形容詞)ではなく、数字で記述するよう心がける事である。「大勢の人が感心した」と書かずに、「70%の参加者が『興味を持った』とアンケートに回答した」という具合だ。あるいは、「4人の著者のうち、3人がこの見解に賛同している」と書く。こうすることでレポートの客観性が増す。

む ろん、哲学的に言えば「事実」と「意見」は厳密に分けられるものではない。どの事実を報告し、どの事実は無視するかを決める時点で、すでに書き手の価値観 と評価が入り込む。しかしここでは、客観性を尊ぶ姿勢で書くことが、読み手の受容度を上げるポイントだと考えよう。なぜなら、同じ手順を踏めば、読み手も 同じような結果を得られるはずだ、と思わせるからである。

結論」の部分は、前節とは逆に、自分の考察や評価、つまり意見を書く。このように客観的事実のセクションと主観的意見のセクションを分離することにより、「君の結論には賛成できないけれども、このレポート自体は役に立つ」という風に、有用性を認めてもらう可能性を高められる。モジュラリティを高めることで再利用性を確保するわけである。

考察を書く際に一番大事なポイントは「気づき」だ。単に数字やデータの並びを眺めただけでは気づかない点を「発見」できると、考察の価値が生まれてくる。そのために、数値をグラフ化して傾向や相関関係をつかんだり、あるいはエピソードを4象限のフレームワークで プロットし分類したりして、その「気づき」を伝えることだ。「目的」では意図と仮説を記述した。「結論」では、肯定的であれ否定的であれ、その仮説が検証 される訳だが、ここに新たな気づきが加わることによって、考察の多面性が生まれる。結果として、最初の問題は解決したが別の問題に気づいた、となっても構 わない。むしろそのような態度こそ、次につながる前向きな書き方だと言えよう。

このように考えてみると、良いレポートというものは全体として、ある一つのキーワードを軸に構成されていることが分かる。それは『検証可能性』 である。「目的」で仮説を提示し、「結論」でそれを検証する。「方法」も追試検証が可能なように記述する。「結果」では誰でも真偽を判定できる客観的事実 を並べる。このように、他者にとっても検証可能な形でレポートを提示することで、その再利用性と信憑性が高まるのである。

レポートとは、事実と思考を他者に報告し共有する道具だ。そこでは「自分の名札付きの意見」は珍重されない(自分が斯界の権威でない限り)。誰が行っても同じ結論に至る、無名の客観性が重要なのだ。では、レポートの質や創造性はどこに出るのか? それはスタイルにはない。「仮説」設定の上手さと「気づき」の深さで評価されるのだ。
タイム・コンサルタントの日誌から : 仕事のレポートはこう書こう (via flatmountain)

(hustler4lifeから)

天下一品を天一って略すやつは残された下品の気持ち考えたことあんの Twitter / 水瀬雅治 (via shingi)

(mooljot-archiveから)

大学時代の恩師の言葉を借りると、コンサルティング・サービスは「知的風俗業」だ。

 経験の浅い若手コンサルタントを着飾らせ、ベテラン社員とパッケージにしてテーブルにつかせる。お客さんに満足してもらうために、新聞や雑誌をたくさん読み、勉強をして専門知識をつける努力は欠かせない。顧客に役立つトークで気に入ってもらい、指名をとらなければならない。そこに大きな付加価値がある。

“無料より高いものはない”,のか? - 産業動向 - Tech-On! (via suikyo) (via otsune) (via tiga) 2010-03-03 (via gkojay) (via tkashiwagi) (via nakano) (via amiens2009)

 とある常駐先に合流した私。そこのまとめ役の人にこんなことを伝えられたんです。「ここでは毎朝9:15に軽いミーティングを行ってますので出席してください。」てな感じで。

 もちろんその時の私の反応は「えーーーーーーーっ」というものでした。だって毎朝集まるなんてめんどくせーの一言じゃん。週一のミーティングでさ え意義を感じないことがほとんどなのに、それをここでは毎日ですか?そんなことして何になるんだよー、と不満たらたらでの参加だったのですが。

 ところが。これが実際にやってみると意外とラクなんだ。作業を進める、という意味合いにおいて。

 まず朝、どこからともかく人が湧いて出てきます。会議室とかミーティング机に集まるという訳ではありません。それこそ誰かの机の周りに群がって、という感じで。周りから見たらそれこそミーティングというよりはただの雑談(笑)。

 で、始まるとまず「その日の連絡事項」が簡単に告げられます。今日□□さん休みですとか、今日の3時エレベータ止まりますとか。使われるのはせいぜい1、2分。

 その後、参加者各自が「これから何をやるのか」てなことを簡単に述べます。それこそ一人頭30秒~1分位ですかね。これによって「この人は今何をやってるか」というのを把握していくと。

 で、肝はここからです。ある人がこう言います。「で、今ちょっとここで決めかねてるところがありまして。○○さんと××さん、すいません後で時間貰えますか?」○○さんと××さん、その場で「いいですよ」と返答してこの場ではその話終了。

 ↑ここが素晴らしい。問題点の解決を試みるのではなく、問題点をいつ解決しようか、ということだけに議題を限定してる訳です。ここ重要。ノート取っておけーテスト出すぞー。

 これを各人廻していって、合計せいぜい10分位ですか。これでおはり。「じゃあ宜しくお願いしまーす」と散り散りになっていきます。さっき呼びかけた人と呼びかけられた人は資料片手にミーティング机に向かっていきます・・・というのが毎朝の恒例行事でした。

 いやね。「世の中の会議の99%は不要説」を声高々に叫びまくってる私がこんなこと言うのもなんなんですけど。これは非常にうまく機能してました よ。他の人の状況がこれで大体頭に入りますし、何よりも忙しそうにしてる人の作業中断させて教えを乞うようなストレスから解放される。かなりデカいですこ れは。

 割り込む側ではなく、割り込まれる側からしてもこのメリットは大きいです。いきなりやってこられて質問されるのと、予め予告された上で質問される のとではそりゃあ全然違いますよ。作業が中断されない(自分で調整できる)のもありがたいし。そのちょっとの間に質問される側が「より優れた答え」を用意 できる、なんてこともありますし。

 まさにXPで言うところのコミュニケーションですよね。スタンドアップミーティングが「その場」になるのではなく「きっかけ」「触媒」として機能していくと。


 さて。じゃあここまで読んで「そんじゃあウチでもスタンドアップやるぞー。毎朝集合だー!」と息巻いてるそこの貴方。

 ちょいと待った。話はまだ終わってない。まだ続きがあるんだ。今からそれを話しましょうか。

 その後も毎朝のミーティングは続いていきました。しかし、時が経つにつれ、当初感じていたメリットは薄れ、代わりにデメリットが頭をもたげるようになってきました。

 まず、この風景を見ていた上司(直属ではなく、さらにその上の上司)がこんなことを言い出しました。

「せっかく集まってるのに議事録を取らないとは何事か」

 その次の日には議事録当番が決められ、当番の人は各人の喋ったことをひたすらメモ、終了後時間をかけて議事録を作成、展開ということが行われるようになりました。

 次にプロジェクトの進行が思わしくなくなると同時に、次々に人員が投入されるようになってきました。するとこんな苦情が出てきました。

「そんなところでやられちゃ適わん。会議室でやってくれ」

 毎朝会議室が確保され、ミーティングはそこで行われることになりました。イスに座るようになってしまい、時間が長くなってもいいようになってしまいました。

 そしてトドメは上司さん(同じく直属ではない)のこんな一言でした。

「このプロジェクトの進行がかなり危うい状況です。したがって私も参加します。ユーザさんとか周りの方々に関してもできるだけ参加して頂きます。日々の問題はここで解決することにしましょう」

 こうして、毎朝毎朝、各作業担当者は各問題点を、その場で発表、解決しなければいけなくなりました。出席することが苦痛となり、皆が皆、理由をつけては欠席するようになりました。

 こうして、毎朝10分のスタンドアップミーティングは、毎朝1時間半の存在意義の無い、会議の名を借りた『儀式』と変わり果ててしまったのさ。

 ちゃんちゃん。めでたしめでたし。

09:15の儀式 (via hepton-rk)

印刷して上司に読ませるべし。楽しくないと続かないのと、同じやり方がいくら効果的でも少しずつ変えていかないと飽きてくるって、誰かが言ってた。

(via daxanya1)

(amiens2009から)

いい話だ(ToT)
高校ラグビー:レフェリー長男のために決勝2校が募金

劇的な引き分け決着で桐蔭学園と東福岡が優勝を分け合った8日の全国高校ラグビー決勝。ノーサイドの後に、もう一つのサプライズが待っていた。主審を務めた麻生彰久レフェリー(34)に、両校主将が閉会式途中で歩み寄り、生徒や部関係者からの寄付金が入った募金箱を手渡したのだ。重い心臓病と闘う麻生さんの長男修希(しゅうき)ちゃん(2)の心臓手術のためで、突然の出来事に麻生さんは「自分は主役じゃないのに」とうれし泣き。「息子も皆さんの応援に応えて頑張ってくれるんじゃないか」と期待を込めた。

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110109k0000m040045000c.html
【足抜きをはじめている経営陣】
さて、先週Grouponがプライベート・ラウンドで資金調達したとき、(あっ!)と思った点があります。

それは創業メンバーがちからいっぱい持ち株を売っていた点です。

もしGrouponがそんなに素晴らしいビジネスなら、なんで経営陣がIPO前にごっそりキャッシュアウトする必要があるのでしょうか?(=普通IPO後に公開市場で得た株価評価の方が未公開株より有利な値段が付きます)

いま急いで株を処分するのは一般投資家やVCに見えてない事が経営トップには見えているからだと思います。

ひとたびIPOのプロセスに入ると経営陣が処分できる持ち株数はロックアップ契約などにより厳格に規定されてしまいます。だからプライベート・マーケットで「闇から闇へ」持ち株が処分出来るうちに足抜きをはじめた方がトクだとう発想になるわけです。

今回のプライベート・ラウンドはGrouponの経営者の器量を知る上でとても参考になりました。
早くも堕落したGroupon - Market Hack(外国株ひろば Version 2.0) - ライブドアブログ (via yaruo)

(amiens2009から)

つまんでみた。

つまんでみた。

sonic boom (ガイルではない)